最後の時の選択

音楽ライフを久しぶりに得たのですが、義父の関係について。

我々には元気な時に決めておいたほうが良いことが幾つかあると思います。
・意識がなくチューブでつながれた場合の処置
・意識があっても、意思を伝えることが出来なくなり、チューブでつながれた場合の処置
・クオリティーオブライフとして、チューブによる延命を希望するかしないか。

これらを意思がはっきりしている内に決めておかないとイケない。
しかし、「お前、今書け」といわれても書けないな、と思います。


義父に色々な処置を取った結果、意識レベルが明晰なまま数値上の安定は確保出来てはいるのですが、
「意識がしっかりされているので延命していますが、医療機関、そして保険制度として希望することではありません。」
「こういう医療を受けられない、そして回復の見込みのある患者さんに力を注ぎたい。」
ということを遠回しに言われたのであります。

自宅なり、施設での介護ができるレベルを目指す処置(シャントの埋め込み)を行なうか、行なわないかを選択しなくてはいけなくなりました。
本人がそれを望むかどうかの確認は、意思の疎通が問題。紙芝居のようにして説明して返事が得られるのか、ということを考えざるをえません。