餓鬼の島からの生存者

父が入居している所にお住まいの、ある米寿のご老人。顔に傷があり、歩行も杖に頼られています。杖は年齢のせいだと思っていたのですが、足のほうも顔の傷も戦争中の古傷だとのこと。

どちらで?とうかがったところ「餓鬼の島です」という答えが。

あっ!と思った私。そう、ガダルカナルの生存者にお会いしたわけです。

無謀な作戦と粗雑な情報収集、お粗末なロジ、そして戦略性にかける場当たりの人員投入のおかげで、2万人以上の兵員と多くの艦船、飛行機を消耗した太平洋の戦場。

その方は銃剣を帯びての白兵戦の後に負傷され、傷にうじがたかる状態だったそうです。受けた手当ては傷口にヨードチンキを流し込むことだった、とのこと。ヨードチンキの方が銃弾を受けたときよりも痛かったです、とのこと。

食べ物もなく、補給もなく、毎日仲間が死んでゆくなか、運良く病院船の氷川丸に乗せられて帰国。帰国の後は、緘口を厳命されたそうです。



私は、過去にもうお一人、とんでもない場所からの生存者にお会いしているのですが、そのお話は別の機会にします。