喪
その日の早朝、その人の体は動かない物体となった。
数少ない親類縁者に連絡が飛び、私も駆けつけた。
その夜、これまでの慣れ親しんだ名前に代わり、釋尼○○という名前を与えられた。
お線香を絶やさぬよう、交代でお守りをした。
翌日の夜に行われた通夜式。
私の妻子と妻の親も駆けつけて来た。
私が喪主に代わって挨拶をすることになった。
話を終える前に涙で言葉が上ずり、少し中断してしまった。
子供の時は泣いて家に帰るとその人に大層叱られた。
何かをしろ、と言われたことはなかったが、泣くことには厳しかった。
だが、今は涙を見せてもその人はものを言わない。
通夜式の夜は、その人の兄弟が交替でお線香の番をしてくれた。
葬儀の式の挨拶では、更にゆっくりと話すようにした。
今度は涙で詰まることはなかった。
が、終えてから嗚咽してしまった。
おそらく妻子が私の涙を見るのは初めてだろう。
その数時間後、写真と壷だけの姿となった。
大手術を経てから、二十数年も生き長らえてきた。
あの手術をしなければ、あるいは失敗していれば、孫の顔を見ることもなかった筈。
子供時代からの持病との闘病、お疲れ様でした。
胸や下半身に埋められていた異物は拾わないようにしました。
身軽になったから、もう苦しまなくてもいいよね。
ゆっくりとお休み下さい。
(daniloより)
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