二期会公演 La Clemenza di Tito

二期会公演の「皇帝ティトの慈悲」を見に行きました。

日本では上演されるチャンスは滅多にない作品だと思いますし、モーツァルトイヤーだからこそ上演されたのかも知れません。

私が覚えているのは、あの序曲と、いくつかのアリア程度です。ベーム指揮のLP盤を持っていたはずなのですが、何しろオペラセリアです。レチタティーヴォとアリアの連鎖ですから通して聴くのはなかなか辛い。レコードを数回プレーヤーに乗せてもそのまま眠ってしまった記憶だけでして・・・(苦笑)

予習(復習)をしようと、LPの収納場所を探したところ、どうも見当たりません。何年も前に某ユニオンにお隠れになられた模様です。

ないならないでいいのです。トリスタンの時にポップな演出をしてくれたコンヴィチュニーの演出ですから、あまり事前のイメージを持たないほうが自然に楽しめるだろうと思い、初台に向かいました。

開始早々、序曲の最初のパウゼで数回照明が消えます。マエストロ(スダーン)が日本語で何やら喋って、支配人役が「最終日なんだから、真面目にやれよ。」とスタッフに怒鳴っています。ここから既にお遊びが始まっているのですね。

幕が上がるとローマのカピトリーノの丘のミニチュアモデルが舞台装置です。そしてなぜか真ん中に「殿方」と書かれたトイレが(笑)

あとは、おそらくネットのあちこちで筆の立つ方々や関係者が色々書かれているでしょう。あちらこちらに遊びがあります。幕間にはロビーに皇帝さまがお出ましになるし(写真中参照)、二幕の最初は一列目に皇帝様御臨席です。

またセストの放火で一幕の最後は火事となりますが、ニ幕は指揮者まで顔や服に煤をつけています。他にも書ききれないほどの遊びが山盛りでございました。

最後は序曲を演奏しながらのカーテンコール。自然と拍手が手拍子になり、ハッピーエンドに。

スダーン指揮の東京交響楽団はテンポ感のよい快活なモーツァルトの音楽を楽しませてくれました。各歌手も好歌唱・好演技でした。

最後に。笑いの要素はてんこ盛りでしたが、セストはリストカットをし、皇帝を巡る女たちはあきらかに愛よりも権力と名声に憧れ、皇帝自身は個人としての憎しみの本音と皇帝の立場上の徳義(胸像が歌います)との狭間に悩むあまりに心臓をつかみ出して人工心臓と入れ替えてもらわざるを得ない。喜劇に見せかけた、悩める人間達のドラマになっていたと思います。

幕に書かれたドイツ語「ZUSTÄNDE WIE IM ALTEN ROM: 古代ローマ人と変わりないな」はコンヴィチュニーからの今の観客席に向けてのメッセージでしょう。


Chirashi



Makuai





二期会のサイトより