技術立国は、どこに行くのだろう?

いきなりですが、火縄銃が日本に入ったのが1543年と伝えられています。それから半世紀の間に、日本は世界一の鉄砲保有国になった、という話です。これは堺や近江の鍛冶職人が単なる物真似以上の創意工夫を凝らして鉄砲の生産性を当時の限界レベルにまで向上させたからだ、といわれています。

世界の中で自ら自閉症になってしまった徳川の治世の間も技術の流れは脈々と受け継がれ、それが明治維新以降の急激な工業化に耐え得る下地をつくったわけです。

明治以降の工業化の方向性が兵器に向かいすぎた結果、無謀な戦争を引き起こし徹底的に敗戦で打ちのめされましたが、占領国の米は日本をアジアの工業基地として有効活用する為に温存しました。兵器開発をしていた優秀な技術者や職人さんの生き残りは戦後の高度成長の基盤となる技術開発を各種の分野で成し遂げたわけです。

ところがMBAの物真似が流行りだし、猫も杓子も意味も分からずにグローバルスタンダードを取り入れた結果、効率とコスト優先により国内の技術育成が空洞化しました。

子供達も技術や科学を目指してもキャッシュがもらえない事は分かっていますから、苦労の多い理科系・技術系離れが加速します。結果、手で考えるのではなく頭とキーボードだけで考えるだけの似非技術者が増えてきました。指標としての技能五輪入賞者の推移を見れば技術の国力の衰えは明らかです。

結果、今や日本を代表するかつての有力メーカーは、一部の例外を除いて凋落の一途に。。。内製化できずに外部調達に頼ってしまったからです。

日本の国力を作り上げてきたのは金融業でしょうか?不動産業でしょうか? 否! 絶対にこの分野ではユダヤ系資本や華僑資本に叶いっこありません。

かつての技術立国の日本丸のエンジンを動かす燃料であるところの技術力が次第次第に弱っています。この国は一体どこに向かって進んでいるのか、と不安に思うことがあります。


と、まとまらないことを、既に技術力が衰退しつつある旅先の国にて書いてみました。